忍者ブログ
  • 2025.03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2025.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/04/30 17:35 】 |
ジミー・ヤン
ジミー・ヤン(Jimmy Yang、1981年5月13日 - )は、アメリカのジュニアヘビー級のプロレスラー。韓国系アメリカ人。カリフォルニア州ハリウッド出身。

身長175cm、体重93kg。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 リングネーム
4 獲得タイトル
5 外部リンク
来歴 [編集]

WCWパワープラント出身。WCWに所属していた2000年には、カズ・ハヤシ、ジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成。WCWがWWFに吸収された後の2001年3月、WWEを解雇された。その後、全日本プロレスに長期参戦する。全日本プロレスでは、まだ選手層の薄かった全日ジュニアを大いに盛り上げた。
その後再びWWEと契約を結ぶ。その際、リングネームをアキオ(明夫)と変更。2003年10月19日に行われたWWE SmackDown!の特番、No Mercyにおいて、ケイジ・サコダと共にTAJIRIの用心棒の日本人としてWWE再登場。ヒールのタッグチーム「兄弟」を結成。TAJIRIとは有楽町の飲み屋で出会った、というギミックでの登場であった。TAJIRIがRAWに移籍した後もSmackDown!に残り、ムービースターというアングルで、道着(鈴木健想のコスチューム同様、日本風というより中国風であったが)を身に付け、常に無口であった。これはアジア的イメージの表現のため、また日本人ギミックでありながら本人が日本語をほとんど話せないことによると思われる。
2005年7月5日にWWEから解雇された。その年の解雇されるべきではなかった選手という投票では、高い数字を出しており、ファンも納得していなかった結果になった。
WWE解雇後は、もう一度WWEへの出戻りを目指すため、以前参戦した全日本プロレスには出ず、WWEの目の届きやすいアメリカでの活動に専念することにした。2005年10月1日より、ROHを主戦場としている。また、11月3日に行われたハッスル・マニアに登場。リングネームをジミー・ヤンに戻し、かつてチームを組んでいたカズ・ハヤシとのタッグで試合を行った。
2006年9月29日に、南部で生まれ育って3代、生粋の陽気なレッドネックであるという「黄色人種なのに南部男」Jimmy Wang YangというギミックでSmackDown!に再デビューを果たした。復帰デビューから2週続けて敗れるも、その後は素早い動きと空中技で勝利を重ね一定の人気を得る。
2007年に入ってからもクルーザー級部門のトップ選手として活躍し、7月にはトリー・ウィルソンをマネージャー兼タッグパートナーにつけ、ケニー・ダイクストラ&ヴィクトリア組と抗争を繰り広げる。その後は主にジョバーとして新人レスラーなどの引き立て役となっていた。
2010年4月22日にWWEから解雇される。同年7月古巣ともいえる全日本プロレスのジュニアヘビー級リーグ戦に参加している。
得意技 [編集]

ヤンタイム
立った相手へのムーンサルトアタックでそのままピンフォールに持ち込む。
ムーンサルトプレス
アキオタイム
カンクーントルネード。
コーナー対角相手ムーンサルトキック
コーナーにもたれかかった相手の胸元を蹴って一回転する技。普通の使い手は、片足をロープなどに固定してからもう一方の足で蹴り上げ回転するのに対し、ジミーは直接相手の胸元を勢いよく蹴り上げて回転する。非常に高度な技であるため、足がすべって失敗することもある。
その他足技多数
リングネーム [編集]

Jimmy Wang Yang(ジミー・ワン・ヤン)現在WWEで使用中
Jimmy Yang(ジミー・ヤン)
Akio(アキオ)
獲得タイトル [編集]

中央アメリカミドル級王座 : 1回
全日本プロレス
ジュニアタッグリーグ : 1回
PR
【2011/01/03 23:04 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ショーン・ウォルトマン
ショーン・ウォルトマン(Sean Waltman、1972年7月13日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ミネアポリス出身。
Xパック(X-Pac)、シックス(Syxx)、1-2-3キッド(The 1-2-3 Kid)、シックス・パック(Syxx Pac)などのリングネームで知られる。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 入場曲
5 外部リンク
来歴 [編集]

ボリス・マレンコのマレンコ道場でトレーニングを受け、1990年にライトニング・キッド(The Ligntning Kid)のリングネームでディーン・マレンコを相手にデビュー。インディー団体を転戦し、地元ミネソタのPWAではジェリー・リンと抗争した。1991年11月、ユニバーサル・プロレスリングに初来日。メキシコのルチャリブレを主体とした同団体の中で、場外の相手へトップロープ上からダイビング・ニールキックを放つなどの独自性の高いスタイルで話題を呼んだ。
1993年にWWFに入団、レイザー・ラモンから3カウントを奪って勝利したのを機に1-2-3キッドに改名。しかし当時の役割はジョバーであることがほとんどであった。
1996年にWCWに移籍。nWoに加入しリングネームをシックスに改める(シックスというリングネームはnWo6人目のメンバーであることに由来する説、前リングネームの1-2-3を足した、あるいは掛けた数に由来する説がある)。軽量級戦線で活動するが負傷で欠場し、エリック・ビショフに解雇されてしまう。
1998年にWWFに復帰。リングネームをXパックとし、トリプルH率いる第2次DXに加入。1999年にトリプルHが脱退しビンス・マクマホン率いるコーポレート入りしたため、実質的にリーダーとなる。その後、ケインとタッグチームを結成し、それまで心を持たない破壊マシーンだったケインの人間性を取り戻させるという友情ストーリーが展開されたが、ケインの初恋相手トーリを略奪し裏切るという愛憎劇に発展した。2000年に負傷し長期欠場に入るが2001年に復帰しアルバート、ジャスティン・クレディブルと共にXファクターを結成。しかし再び負傷欠場に入りユニットは消滅。2002年にWWFで再結成されたnWoの新メンバーとして復帰。しかしブックを拒否したために同年に解雇される。ちなみに当時彼が所持していたWWFライトヘビー級王座はWCWの買収でWWF管理下になったWCWクルーザー級王座がWWEクルーザー級王座に改称されたことで消滅、最後のWWFライトヘビー級王座となった。
その後、権利の関係でリングネームをシックス・パックに改名しTNAと契約。しかしライターであるビンス・ルッソと対立し退団。以降はパック(Pac)やXのリングネームでインディー団体を転戦、この間プライベートで婚約していた元チャイナことジョーニー・ローラーに付き添い新日本プロレスに登場、蝶野正洋と抗争になるかと思われたがその後婚約を解消したため結局はお蔵入り。2004年にルッソがTNAを退団したため2005年にTNAに復帰。
現在はTNAを離れ、AAAやNWAに参戦している。
クリックの一員であり、ショーン・マイケルズ、トリプルH、スコット・ホール、ケビン・ナッシュとは団体を離れた後も親友の間柄にある。
得意技 [編集]

Xファクター
ブロンコバスター
スピニング・ヒールキック
獲得タイトル [編集]

WWF/WWE
WCWクルーザー級王座 : 1回
WWFヨーロピアン王座 : 2回
WWF・ライトヘビー級王座 : 2回
WWE・世界タッグチーム王座 : 4回(w / マーティ・ジャネッティ、ハードコア・ホーリー、ケイン×2)
WCW
WCWクルーザー級王座 : 1回
TNA
TNA Xディヴィジョン王座 : 1回
入場曲 [編集]

Make Some Noise
What'chu Lookin' At(Uncle Cracker)
【2011/01/03 23:03 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
下田美馬
下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、日本の女子プロレスラーである。東京都目黒区出身。B92cm・W70cm・H98cm。血液型A型。
目次 [非表示]
1 所属
2 プロフィール
3 得意技
4 入場テーマ曲
5 タイトル歴
6 脚注
7 外部リンク
所属 [編集]

全日本女子プロレス(1987年 - 1997年)
フリーランス(1997年)
ネオ・レディース(1998年 - 1999年)
フリーランス(1999年 - 2003年)
AtoZ(2003年)
AtoZ(2004年 - 2005年)
フリーランス(2005年 - )
プロフィール [編集]

1987年8月5日、全日本女子プロレスでの三田英津子戦でデビューし、全日本ジュニア王座を獲得するなどしたが、新人時代は伸び悩み、同期の豊田真奈美とタッグチーム『スイートハーツ』を結成する。ただし、これは本人が望んだことではなく、フロントの考えによるものである。その後、同期の三田英津子とタッグを組み、全日本タッグのタイトルを獲得。
1990年3月18日、格闘技経験が皆無である状況で、後楽園における格闘技戦(グローブマッチ)[1]でアジャ・コングと対戦し、滅多打ちにされ、ローリング裏拳により下顎骨折および前歯数本を欠損した[2]。
1991年に吉田万里子と共にメキシコに遠征、現地では『MIMACHAN(ミマチャン)』のリングネームで試合を行っている。
1992年、三田と共に北斗晶に師事し、猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)なるチームを結成、下田にとって「お嬢さんからヒール」への大転身であった。北斗の引退(後に復帰)と共に、ラス・カチョーラス・オリエンタレスも消滅かと思われたが、下田と三田のタッグチームで継続することとなった。このタッグは全女を引っかきまわすだけには留まらず、LLPWやJWPといった他団体の選手(特にヒール)とも積極的に試合をこなした。
1997年には女子プロにおけるタッグチーム最高峰と言われた、WWWA世界タッグ王座も奪取。女子選手を有するほぼ全ての団体に出場するほか、男子のみちのくプロレスやアメリカのECWにも出場経験があり、2000年には三田と共に東京スポーツ主宰の「女子プロレス大賞」受賞。全女の倒産後、フリー選手、ネオ・レディース(現:NEO女子プロレス)所属と転々とした下田は、最終的にAtoZ所属となった。2003年に引退後、AtoZのエージェントマネージャーに就任。フロントとして存在感を示していたが、2004年7月に一試合限定のプレミアムレスラーとして復帰。その後も度々リングに上がることとなった。2005年2月、リングへの本格復帰をした直後、AtoZが発展的消滅。現在は水商売とレスラーの「二足のわらじ」で活躍している。
2005年11月、週刊現代誌上でヘアヌードを発表した。
その他、プロレスリング・ノア・泉田純至の憧れの人として知られ、何度かアタックを受けているが、泉田の強引なアタックに激怒している。
得意技 [編集]

タイガー・スープレックス(ブリッジが低いため、よくオースイ・スープレックスと混同される)
デスレイクドライブ
雪崩式タイガー・スープレックス
かかと落とし
フライング・ネックブリーカー・ドロップ
入場テーマ曲 [編集]

魅魔 THE SENSATION
タイトル歴 [編集]

WWWA世界タッグ王座
ツインスター・オブ・アルシオン
UWA世界女子タッグ王座
JWP認定タッグ王座
全日本タッグ王座
NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
クイーン・オブ・アルシオン
全日本シングル王座
全日本ジュニア王座
プロレス大賞
2000年女子プロレス大賞(三田英津子との同時受賞)
【2011/01/03 00:54 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
坂井澄江
坂井 澄江(さかい すみえ、1971年11月24日 - )は、日本の女子プロレスラー。三重県四日市市出身。血液型O型。フィラデルフィア在住。
目次 [非表示]
1 経歴
2 主な得意技
3 その他
4 出典
5 外部リンク
経歴 [編集]

MIKI HOUSE柔道部を経て、1996年に吉本女子プロレスJd'に入門。1997年4月20日の対藪下めぐみ戦でデビュー(なお、藪下とは同時期に入団している)。25歳での当時としては遅いデビューであったが、主に藪下とのタッグチーム、「ヤブサカ」で活動した。2003年1月13日の後楽園大会を最後にJd'を退団し、フリーランスとなった。その後はアメリカを活動の拠点にしている。
2005年には闘病生活を送っていたサブゥーを支援するチャリティー興行「WE LOVE SABU」の開催の発起人となり、4月17日にディファ有明で昼夜興行を開催した。
2006年10月14日に「XFS II」で総合格闘技デビュー。エイミー・デイビスを腕ひしぎ十字固めで一本勝ちと宣告されたが、タイムキーパーのミスでラウンド終了から3秒経過していたことが発覚したため、無効試合になった。
さらにこの年の11月に、米国のIWAミッドサウスの主催によるクイーン・オブ・ザ・デスマッチの初大会へと参戦。1回戦で尾崎魔弓と有刺鉄線デスマッチを戦うも、そのまま敗退するに至った[1]。
主な得意技 [編集]

フィッシャーマンズ・バスター
ムーンサルトプレス
ウラカン・ラナ
その他 [編集]

Jd'時代の入場テーマは篠原ともえの『クルクルミラクル』を使用していた。そのためか、入場時に『クルクルミラクル!坂井澄江』とコールされていた。
出典 [編集]

^ オンライン・ワールド・オブ・レスリング:IWAミッドサウス(2006年) (英語)
【2011/01/03 00:54 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
栗原あゆみ
栗原 あゆみ(くりはら あゆみ、1984年7月13日 - )本名:栗原 亜弓(リングネームと読みは一緒である)は、日本の女子プロレスラー。東京都三鷹市出身。
目次 [非表示]
1 プロフィール
2 リングネーム
3 経歴・戦歴
4 得意技
5 獲得タイトル
6 入場テーマ曲
7 雑誌連載
8 外部リンク
プロフィール [編集]

実家は女子プロレスラーが通っている焼肉屋「三宝」。幼少の頃よりプロレスラーが周囲にいる環境で育つ。学生時代はバスケットボール部所属。
高校卒業後しばらく無職の後、実家の焼肉屋「三宝」の常連であり、子供の頃からプライベートで遊んでもらっていたという、フリーの先輩選手GAMI(二上美紀子)のいるAtoZの練習生となるもGAMIとともに退団、2005年4月24日に20歳でM's Styleの興行にてプロレスデビュー。デビュー戦ではGAMIを相手に金星を挙げる番狂わせを演じた。
2007年4月19日、若手お笑い芸人(月刊ドイツ・パンダ西口)のトークライブ(ハロー貸会議室渋谷カネマツ)にゲスト出演。天性の明るさで「プロレス」に限らず、「お笑い」の分野でも好評を博す。
2007年7月16日のNEO女子プロレスの興行で右鎖骨を骨折し長期欠場していたが、2008年12月14日の自主興行で復帰。
2008年8月には大阪でKAORU選手、植松寿絵選手とともに「RING〜Starting Over〜」で女優デビュー。
2009年2月22日のOZアカデミー後楽園大会においてOZ正規軍入りを表明。
2010年4月にアメリカ遠征。シカゴの地元紙で記事にされた。
リングネーム [編集]

リングネームは、本名の「亜弓」を漢字から仮名に変え「あゆみ」とした。
経歴・戦歴 [編集]

2005年
4月24日、「M's Style一周年記念興行(Mab〜夢を支配〜)」ワンデートーナメントにおいて、1回戦で対GAMI戦でデビュー。ポキを切り返して勝利。同大会、2回戦で植松寿絵と対戦。ボディ・プレスで敗れる。
5月20日、東京・新木場1stRING「Mab〜夢を支配II〜」において、木村響子と組んで、アジャ・コング、Baby-M組と対戦。アジャのラリアットで敗れる。
6月5日、東京・新木場1stRING「“息吹”第1回大会」において、木村響子と組んで、吉田万里子、藤井惠組と対戦。木村が吉田のエアレイドクラッシュで敗れる。
6月19日、東京・新木場1stRING「Mab〜夢を支配III〜」において、GAMIと組んで、植松寿絵、輝優優組と対戦。輝のエルボーで敗れる。
8月7日、「Mab〜夢を支配V〜」ワンデータッグトーナメントにおいて、アジャ・コングと組んで、1回戦で浜田文子、桜花由美組と対戦。浜田に敗れる。
9月11日、「Mab〜夢を支配VI〜」において、未来と対戦。敗れる。
9月23日、東京・新木場1stRING「“息吹”第3回大会」において、江本敦子と組んで、木村響子、桜花由美組と対戦。江本が木村に敗れる。
10月23日、「Mab〜夢を支配VII〜」において、植松寿絵と対戦。ミサイルキックで敗れる。
11月20日、「Mab〜夢を支配VIII〜」において、輝優優と対戦。ローリングエルボーで敗れる。
12月23日、「Mab〜夢を支配 Final〜」において、アジャ・コングと組んで、植松寿絵、輝優優組と対戦。ミサイルキックで植松から勝利。
2006年
1月15日、「アストレイア〜希望の女神I〜」において、倉垣翼と対戦。ラリアットで敗れる。
1月29日、東京・新木場1stRING「“息吹”第5回大会」において、中川ともかと対戦。腕ひしぎ逆十字固めでギブアップ勝ち。
2月23日、東京・新宿FACE「第2回T-1興行」において、T-1マスクと対戦。チキンウィングフェイスロックでギブアップ負け。
2月5日、「格闘美〜MASSIVE〜」において、風香と組んで、渋谷シュウ、バンビ組と対戦。風香が渋谷のノーザンライト・スープレックス・ホールドで敗れる。
2月26日、「アストレイア〜希望の女神II〜」において、闘獣牙Leon、倉垣翼と組んで、大向美智子、浜田文子、西尾美香組と対戦。西尾のタイガー・スープレックス・ホールドで敗れる。
3月19日、東京・新木場1stRING「“息吹”第6回大会」において、バンビと対戦。ダイビング・セントーンで敗れる。
3月21日、「アストレイア〜希望の女神III〜」において、AKINOと組んで、浜田文子、西尾美香組と対戦。西尾のジャーマン・スープレックス・ホールドで敗れる。
4月2日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、夏樹☆ヘッドと対戦。ダイビングヘッドバットで敗れる。
4月15日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、バンビと対戦。ミサイルキックで勝利。
4月29日、「M's Style 2周年記念興行(High Light Style TOURNAMENT2006)」において、1回戦で西尾美香と対戦。ローリングソバットで敗れる。
5月4日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)昼」において、チェリーと対戦。勝利。同日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)夜」において、渋谷シュウと対戦。時間切れ引き分け。
5月13日、「格闘美〜Future〜(League Princess公式戦)」において、中川ともかと対戦。ジャックナイフを丸め返して勝利。
6月24日、「格闘美〜Future〜(League Princess決勝トーナメント)」において、準決勝で風香と対戦。ドールFで敗れる。
7月2日、レディゴンまつりにおいて、高橋奈苗と対戦。バックドロップで敗れる。
8月20日、WRESTLE EXPO 2006において、渋谷シュウと組んで、米山香織、希月あおい組と対戦。ミサイルキックで希月から勝利。
10月8日、東京・新宿FACE「M's Style(Reincarnation〜転生〜)」において、浜田文子と対戦。敗れる。同大会、闘獣牙Leon、闘牛・空と組んで、大向美智子、AKINO、吉田万里子組と対戦。Leonが大向からキーバで勝利。
2009年
12月31日、後楽園ホールNEO大会においてNEO認定タッグ選手権 田村欣子と組んで、高橋奈苗&華名の持つタッグ王座に挑戦。21分32秒の激闘の末、栗原が華名へダブルニーアタックを放ちそのままエビ固めで勝利。第12代王者となった。
2010年
5月12日、東京・新木場1stRINGレボルシオン・アマンドラ自主興行(江本敦子引退興行)において、1日限定でパッション・レッドに加入。アマンドラとの6人タッグで対戦。高橋が江本にナナラッカを浴びせエビ固めで勝利。
9月17日、メキシコ・CMLLがアレナ・メヒコで開催したメキシコ独立200周年記念特別興行「ラ・フンシオン・デ・ビセンテナリオ」に出場。ダーク・エンジェル&マルセラとの「テクニカトリオ」でアマポーラ、下田美馬、プリンセサ・ブランカとの6人タッグ三本勝負を2-1で勝利。
10月10日、立野記代引退試合の相手を務め、リフトクラッチ式の変形裏投げで立野から3カウントを奪う。試合後、立野から後継者に指名される。
12月31日、NEO後楽園大会で田村欣子の持つNWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座に挑戦。リストクラッチ式裏投げで勝利し、第23代王者となる。
得意技 [編集]

ドロップキック
栗原あゆみの得意技。本人曰く「こだわりのドロップキック」。
こいのぼり(首ひっかけ)
フライングネックブリーカー。
裏投げ
ミラクルキック
ポストの上に乗り場外にいる相手にミサイルキック。
獲得タイトル [編集]

第12代NEO認定タッグ王座(パートナーは田村欣子)
第23代NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座
NEO最終興行での奪取の為、統一二冠王座の扱いは未定
入場テーマ曲 [編集]

「希望峰」(Strawberry JAM)
江本敦子が希望峰を栗原に入場曲を推薦したことがある。この曲は、テレビアニメ『スパイラル 〜推理の絆〜』のオープニングテーマ曲でもある。
雑誌連載 [編集]

週刊ゴング→Lady'sゴング…「へなちょこつうしん」
【2011/01/03 00:53 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<前ページ | ホーム | 次ページ>>