× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、日本の女子プロレスラーである。東京都目黒区出身。B92cm・W70cm・H98cm。血液型A型。
目次 [非表示] 1 所属 2 プロフィール 3 得意技 4 入場テーマ曲 5 タイトル歴 6 脚注 7 外部リンク 所属 [編集] 全日本女子プロレス(1987年 - 1997年) フリーランス(1997年) ネオ・レディース(1998年 - 1999年) フリーランス(1999年 - 2003年) AtoZ(2003年) AtoZ(2004年 - 2005年) フリーランス(2005年 - ) プロフィール [編集] 1987年8月5日、全日本女子プロレスでの三田英津子戦でデビューし、全日本ジュニア王座を獲得するなどしたが、新人時代は伸び悩み、同期の豊田真奈美とタッグチーム『スイートハーツ』を結成する。ただし、これは本人が望んだことではなく、フロントの考えによるものである。その後、同期の三田英津子とタッグを組み、全日本タッグのタイトルを獲得。 1990年3月18日、格闘技経験が皆無である状況で、後楽園における格闘技戦(グローブマッチ)[1]でアジャ・コングと対戦し、滅多打ちにされ、ローリング裏拳により下顎骨折および前歯数本を欠損した[2]。 1991年に吉田万里子と共にメキシコに遠征、現地では『MIMACHAN(ミマチャン)』のリングネームで試合を行っている。 1992年、三田と共に北斗晶に師事し、猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)なるチームを結成、下田にとって「お嬢さんからヒール」への大転身であった。北斗の引退(後に復帰)と共に、ラス・カチョーラス・オリエンタレスも消滅かと思われたが、下田と三田のタッグチームで継続することとなった。このタッグは全女を引っかきまわすだけには留まらず、LLPWやJWPといった他団体の選手(特にヒール)とも積極的に試合をこなした。 1997年には女子プロにおけるタッグチーム最高峰と言われた、WWWA世界タッグ王座も奪取。女子選手を有するほぼ全ての団体に出場するほか、男子のみちのくプロレスやアメリカのECWにも出場経験があり、2000年には三田と共に東京スポーツ主宰の「女子プロレス大賞」受賞。全女の倒産後、フリー選手、ネオ・レディース(現:NEO女子プロレス)所属と転々とした下田は、最終的にAtoZ所属となった。2003年に引退後、AtoZのエージェントマネージャーに就任。フロントとして存在感を示していたが、2004年7月に一試合限定のプレミアムレスラーとして復帰。その後も度々リングに上がることとなった。2005年2月、リングへの本格復帰をした直後、AtoZが発展的消滅。現在は水商売とレスラーの「二足のわらじ」で活躍している。 2005年11月、週刊現代誌上でヘアヌードを発表した。 その他、プロレスリング・ノア・泉田純至の憧れの人として知られ、何度かアタックを受けているが、泉田の強引なアタックに激怒している。 得意技 [編集] タイガー・スープレックス(ブリッジが低いため、よくオースイ・スープレックスと混同される) デスレイクドライブ 雪崩式タイガー・スープレックス かかと落とし フライング・ネックブリーカー・ドロップ 入場テーマ曲 [編集] 魅魔 THE SENSATION タイトル歴 [編集] WWWA世界タッグ王座 ツインスター・オブ・アルシオン UWA世界女子タッグ王座 JWP認定タッグ王座 全日本タッグ王座 NWA女子パシフィック王座&NEO認定シングル王座 クイーン・オブ・アルシオン 全日本シングル王座 全日本ジュニア王座 プロレス大賞 2000年女子プロレス大賞(三田英津子との同時受賞) PR |
![]() |
![]() |
|
![]() |
トラックバックURL
|
![]() |