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【2025/05/01 01:26 】 |
ツバサ (プロレスラー)
ツバサ(1973年6月21日 - )は日本のプロレスラー。岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)出身。身長168cm、体重78kg。大阪プロレス所属。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 タイトル履歴
4 その他
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]

プロレスラーを志してメキシコに渡り、フライ・トルメンタ孤児院(レスラーのファイトマネーによって運営される孤児院)に所属する。1993年12月3日、メキシコ・イダルゴ州パチューカにてデビュー。約6年の間、EMLLを中心に活動した。1999年、CMLLジャパンに参戦し、日本に逆上陸。同年9月より大阪プロレス所属となる。
2001年
正規軍を脱退し、ブラックバファローとタッグユニット”インフィニティ”を結成。7月21日、王座決定戦にてスペル・デルフィン&村濱武洋組に勝利し、大阪プロレスタッグ選手権第2代王者となる
2002年
8月25日、”ビッグボス”MA-G-MA&大王QUALLT組に勝利し、大阪プロレスタッグ選手権第6代王者となる
2003年
インフィニティ解散。以後、正規軍としてルード軍”岸和田愚連隊”と戦う。4月29日、ビリーケン・キッドと組み「大阪タックフェスティバル2003」に出場し、優勝。
2004年
4月2日、当時、カズ・ハヤシが所持していた全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座に挑戦するが敗退。
6月12日、ユタカと組み「大阪タックフェスティバル2004」に出場し、優勝。同年、右膝の故障により長期欠場に入る。
2005年
2月13日、「大阪ハリケーン2005」で半年間の休養から復帰する。9月17日、ビリーケン・キッドと組み、秀吉&正宗組を破り、大阪プロレスタッグ選手権第12代王者となる。しかし、初防衛後、返上。同年11月より、右膝の再手術のため、再び長期欠場に入る。
2006年
10月1日、11ヶ月ぶりの復帰を果たす。
2007年
2月13日大阪ハリケーン2007、フラッシュムーンと組んで大阪プロレスタッグ選手権のベルトに挑戦するも敗退。
大阪タッグフェスティバル2007にアジアン・クーガーとタッグを組み参戦。準決勝まで勝ち抜いた。
2008年
1月13日、大阪プロレスタッグ選手権次期挑戦者決定戦にアジアン・クーガーと、組んで秀吉、政宗組を破って挑戦権を獲得。
2月11日大阪ハリケーン2008でゼロ、GAINAの持つ大阪プロレスタッグ選手権に挑戦するも敗退する。
得意技 [編集]

メキシコのルチャリブレの技を基礎とし、キレのある空中殺法や素早いジャベ、力強い投げ技など、さまざまな技を使いこなす。特にドラゴン・スリーパーは難しく、数少ない使い手である
ドラゴン・スリーパー 
メキシカン・クラッチ
ウラカン・ラナ・インベルティダ
メキシカンストレッチ
ファルコン・アロー
フランケンシュタイナー
トルナド・デ・アカプルコ
ウルトラ・ウラカン・ラナ
ゴッズ・ラスト・ギフト
スウィート・チン・ミュージック
フェニックス・スプラッシュ
ブラッディクロス
高角度前方回転落とし固め
タイトル履歴 [編集]

メキシコ州ウェルター
CMLL・JAPANタッグ
大阪プロレスタッグ選手権
その他 [編集]

欠場中は引退後のために、理学療法士の専門学校に通う。そのため、平日、土曜日、東京の試合には出られなくなり、日曜、祝日のみの、限定復帰となった。だが実質、フリー契約で、4月にプロレスリング華☆激にも参戦した。その後、準レギュラー扱いで参戦。
リング場のマイクパフォーマンスはほとんどしない。大阪プロレスの中ではくいしんぼう仮面の次に喋らないのだが、トークが上手く、去年は大阪プロレスでは一番多い4度ものトークショーを行っている。
大の野球好きでブログの内容もプロレスより野球の方が多い。特に中日ドラゴンズのファンで、シーズン中は、実家に帰るときにナゴヤドームで野球観戦をする。
大阪タッグフェス2007におけるアジアン・クーガーとのタッグは、クーガーの荒々しいハードコアとツバサの華麗なルチャリブレが素晴らしいコンビネーションで人気を呼んだ。現在大阪プロレスで一番の人気タッグチームになっている。
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【2010/12/31 01:01 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
大椙努
大椙 努(おおすぎ つとむ、1985年1月10日 - )は、日本の男性プロレスラー。現在のリングネームはツトム・オースギ。
目次 [非表示]
1 来歴
2 精霊 (レイ)
3 得意技
4 外部リンク
来歴 [編集]



SPEED OF SOUNDS
ヘラクレス千賀(左)
ツトム・オースギ(右)
闘龍門第13期生。リングネームとスタイルをミラノコレクションA.T.のミニ版として「ミラニートコレクションa.t.」となり、2004年5月16日メキシコ・アレナ・コリセオにて千賀達人(現:ヘラクレス千賀)戦にてデビュー。

2007年11月16日の新宿FACEにおいてヘラクレスオオ千賀との女性ダンサー争奪マッチに敗れ、年内最終戦後楽園ホール大会のミラノコレクションA.T.戦を最後にミラニート・コレクションa.t.を封印、ケガにより長期の欠場を発表した。
2008年4月、ElDorado4月24日後楽園大会にて「ツトム・オースギ」としての復帰を発表。後にヘラクレス千賀をパートナーに迎え、SOS(スピード・オブ・サウンズ/SPEED OF SOUNDS)を結成。
2008年12月、ElDorado解散後、親会社ソウルコネクション所属となる。
2009年、SOSに大鷲透を加えた「鷲OS」を結成し、自主興行「紅白プロレス合戦」開催を発表した。 11月、ソウルコネクション解散になり フリーとなる。
精霊 (レイ) [編集]

みちのくプロレスでは、精霊-レイ-として活躍中。身長・体重を自由に変えられる森の精霊という、ギミックで登場するも、Ken45゜に目を付けられて、「負けたら軍団Ken入りマッチ」を組まれて軍団Kenに強制加入させられる。その際、コスチュームが白から黒へ変色してしまう。連携という名の暴行(Kenにビンタをされた挙句相手に投げつけられる)を受けて心に傷を負ったのか、挙動不審なキャラクターになってしまった。しかしKen45゜曰く「かわいい感じで人気を取ろうとしている計算」とのこと。やがてKen45゜の裏切りに軍団は解散。再び正規軍に復帰する。試合前には客席へグッズ販売などし子供に人気を博している。

また、地域限定キャラ『めどち』も彼の変身である。
得意技 [編集]

ツトム・オースギ
ツキノイシ
ミラニート・コレクションa.t.
ナターレビアンコ
a.t.ロック
精霊
フェアリー・オイントメント
フェアリー・リング
パトラ
ジオラ
【2010/12/31 01:00 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
吉橋伸雄
吉橋 伸雄(よしはし のぶお、男性、1982年5月25日 - )は、日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。愛知県愛知郡出身。血液型はO型。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 入場テーマ曲
4 その他
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]

学生時代はレスリングとサンボに打ち込み、闘魂ショップ名古屋店併設の闘魂ジム入門。その後プロレスラーを目指し、22歳のときアニマル浜口ジムでプロレス基礎を学ぶ。 同期の内藤哲也とともに汗を流し2005年、後楽園ホールで行なわれた入門テストを受けに行くが不合格(内藤は合格)。 不合格後、4月に行なわれた第15回高田道場主催の「サブミッションレスリング大会」に出場する。敗れはしたものの、大会優秀選手に選ばれグラウンドレスリングに自信を身につけた。
挫けることなく翌年、翌々年と入団テスト再アタックを掛け続け2007年、ついに新日本プロレスに入団を果たす。 しかし、練習生として入るも夜逃げすることもあり、1年あまりの長き練習生期間を過ごした。
2008年7月6日、後楽園ホールにて同期である内藤哲也戦で第0試合として晴れてデビューを果たす。また、2日目は岡田かずちか、3日目は平澤光秀と全て第0試合として対戦した。いずれも惨敗であったが「今日の痛みと悔しさは忘れません」と将来の巻き返しを誓った。 そして同年7月13日、前橋大会で初めて第1試合のリングを踏んだ。
2009年1月4日の東京ドーム大会に第0試合で初参戦を果たすもののその後は進展が全く無く光に当たらなかった。ところが、12月2日、金本浩二と組みIWGPジュニアタッグ次期挑戦者だった邪道、外道との試合で、パートナーの金本が放ったミドルキックにより外道が脳震盪を起こす。後日、外道は医師から1週間の安静が言い渡され、タイトルマッチのカードも変更となり、デビュー1年150日で急遽代行挑戦者としてIWGPジュニアタッグに初挑戦。最後は王者チーム田口隆祐、プリンス・デヴィットの合体技、ブラックホールバケーションで敗北。敗れはしたものの、口から血を吐く姿からヤングライオンの意地を見せ付けた。
目標は「俊敏に動けテクニックのあるプロレスラー」。
得意技 [編集]

ハーフハッチスープレックス
腕ひしぎ逆十字固め
ハーフハッチでフォールが取れなかったとき、すぐ様体勢を入れ替えて極める事もある。
ヘッドハンター
正面から相手に近づき相手の頭を両手でキャッチし、前方回転するように背中からマットに着地しその勢いで後ろに転倒した相手の後頭部をマットに痛打させる技。
スワントーンボム
トップロープから放つ前方回転式セントーン。12月4日初公開。
この技を放つ際、セコンドにいた中西学に「お前何するんや!」と声をかけられ、その一言で緊張がほぐれた。
入場テーマ曲 [編集]

Rage from underground
その他 [編集]

実家が魚屋であり、それが由来となり棚橋弘至からは「ウオ吉橋」のリングネームを与えられたことがある。
実家の職が関係しているか不明だが料理学校に通っていた過去があり、調理師免許も保持している。
新日本プロレス入団後、なかなか体重が増えず毎日のようにプロテインをガブ飲みしていた。
真壁刀義の新技開発実験台になったり、G・B・H多摩川合同練習では上半身裸にされた揚げ句パイプイスで叩かれチェーンで巻かれた。その見返りなのか、ウエイトトレーニングのイロハを教わったことをインタビューで告白した。
2008年6月に行なわれた中邑真輔護身術教室ではチカン役として登場。
【2010/12/28 19:25 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
矢野通
矢野 通(やの とおる、男性、1978年5月18日 - )は、日本のプロレスラー。東京都荒川区出身。新日本プロレス所属。
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1 経歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 関連項目
5 外部リンク
経歴 [編集]

中央大学レスリング部でジャンボ鶴田の2年先輩だった矢野修の息子として生まれ、7歳から父の指導のもと、アマレスをはじめる。京北中学校・高等学校時代には全国高校選抜レスリング選手権、全国高校総合体育大会と様々な全国大会で優勝を果たした。卒業し日本大学進学後も、世界学生選手権日本予選97kg級で優勝。全日本学生選手権ではフリー、グレコの両部門にて制覇しており様々な大会を制する。
大学卒業後の2001年4月、新日本プロレス傘下の闘魂クラブに入団し、2002年より新日本プロレスに入団。同年5月18日にブルー・ウルフ戦でデビューを果たした。2003年8月31日にはパンクラス両国大会に出場し、渋谷修身を相手に総合ルールに挑戦し敗退するも、内外から評価を得た。
2004年から、金髪・田吾作タイツ・はっぴ・下駄という酒飲みキャラに扮する。矢野曰く「くこれが自分の本性を出した第2のデビュー戦」とのこと。ヒロ斎藤、後藤達俊というヒール職人に師事し、反則負けを幾度となくやってきた。
2005年2月、蝶野正洋のバックアップを受けて海外武者修行に出発した。同年5月に帰国後、ブラックニュージャパン入りし、真壁刀義とともに反則三昧のプレーを展開した。しかし、11月に突然ベビーターンした(これは当時現場監督に復帰した長州力の「あいつは正統派ならもっと上にいける」という方針からだった)。スコット・ノートンのタッグパートナーを務めている。2006年5月からは石井智宏と「平成の極道コンビ」という名目でタッグを組むようになった。
2006年より天山広吉ら「G・B・H」に石井と共に合流。以降は天山・真壁をサポートする役割に徹していたが、2007年7月29日に金村キンタローを破りWEWヘビー級王座を奪取した。2007年9月22日にマンモス佐々木に敗れ同王座から陥落した。
2008年1月4日のレッスルキングダムでブラザー・レイ、ブラザー・ディーボン組(以後チーム3D)とハードコアマッチルールで対戦。凶器をうまく使用し追い詰める場面も多く見られたが敗北。同年2月14日、ひたちなか大会でジャイアント・バーナードを相手に、シングルで初勝利を果たすと2月17日、真壁刀義と組みIWGPタッグ王座を獲得。以降4度の防衛を果たすも2009年1月4日、チーム3DとIWGPタッグ王座を賭けてリベンジマッチに挑むもののこの試合でも敗北。IWGPタッグベルトが海外流出を許してしまう。2月15日に3度目の正直でチーム3Dに挑むがここでも敗北。3連敗を喫してしまった。
同年4月5日、タッグパートナーだったはずの真壁に対して椅子で側頭部を殴打し決別。この日、真壁と対戦した中邑真輔と共闘を宣言。後に中邑、本間朋晃を除いたG・B・Hメンバーと共にCHAOSを結成した。6月20日に真壁とシングルマッチで対戦。乱入してきた中邑のアシストの経て、真壁を鬼殺しで葬ったが、7月シリーズに幾度となく真壁が乱入。7月20日に再度シングルマッチが組まれるも、キングコングニードロップでピンフォール負けを献上。
2010年に入ると棚橋弘至に標的を定め、2月14日に対戦。敗れはしたが、ハサミを持ち出し棚橋の髪を切るという暴挙に出て両者に遺恨が勃発。5月3日のレスリングどんたくにて清算を晴らすべく再戦。ここでも棚橋を新技ハーフネルソン式サイドバスター(後に鏡割と命名)でピンフォールを奪う。試合後、バリカンを持ち出し棚橋の髪を刈ろうと襲い掛かるも失敗に終わる。6月19日にルーザー・ボールド・ルールで完全決着を果たすべく3度目の対戦。最後は十字架固めでピンフォールを負けを喫するも、髪を切られるのに抵抗。しかし、駆けつけて来たKUSHIDA、TAJIRIに押さえつけられとうとう髪を刈られてしまった。
得意技 [編集]

基本はレスリングのバックボーンを生かしたスープレックスで試合を作るが、ヒールになってからはラフ殺法を織り交ぜた悪党ファイトを魅せる。
鬼殺し
現在のフィニッシュムーブ。水車落としの要領で担ぎ上げ、パワーボムの体勢に持ち替えて叩きつける、変形のフォールダウン・パワーボム。獣神サンダー・ライガーと柴田勝頼が同じ技名を使うが、全く違う技。
ちなみに、名前の由来は日本酒の銘柄「鬼ころし」。
カナディアン・バックブリーカー
世界三大バックブリーカーの一つで、矢野のヤングライオン時代からの得意技。
2008年のG1 TAG LEAGUEでは上記の技で担いだ後、真壁がトップロープからのキングコング・ニードロップを放つ「合体キングコングニードロップ」が披露された。
八海山
変型のハーフネルソンスープレックス。 背中の方から相手の左脇に差し込んだ左腕を相手の首の後ろへと回し、続けて腿の裏の方から相手の股の間に右腕を差し込んで相手の左腿を抱え込む。その後、体をブリッジさせる勢いを利用して相手を持ち上げ、両腕のクラッチを切って相手を後方へと投げ捨てる。ごく稀に、雪崩式で使うこともある。
鏡割
変型のサイドバスター。背中の方から相手の左脇に左腕を差し込み、差し込んだ左腕を相手の首の後ろへと持っていく。その後、左脇腹の方から相手の腹部の下へ右腕を潜り込ませ、右手で相手の右腿を外側から抱え込む。最後に相手の体を上下逆さまにするような感じで抱え上げて尻餅をつくように倒れ込み、落下させた相手の後頭部や背中を自分の左サイドへと叩きつける。
強力
相手をブロックバスターの要領で抱えあげたあと上半身を右方向に軽く捻り、上半身を左方向へと振ると同時に相手の股を抱えていた右腕を離す。その後、左腕で抱えた首を支点にして相手の体を振り子のように左方向へと旋回させ、ロックボトムのような形で相手をマットに叩きつける。
赤霧
背中の方から相手の左脇に差し込んだ左腕を相手の首の後ろへと回し、相手の左膝の裏に右手を回して相手の左足を抱え込む。その後、両膝をマットにつくように倒れ込みながら相手の体を前方へと転がし、両肩をマットにつけた相手の体を押さえ込むフォール技。
裏霞
首を捕らえ、相手の足を払い前方へ回転させながら丸め込む矢野ならではのスモールパッケージホールド。
黒霧島
腕を極めてのスクールボーイ。鬼殺しと同様に名前の由来は焼酎の銘柄「黒霧島」。裏霞に比べると使用頻度は控えめな方。
ナイトキャップ
旋回式ブレーンバスター。帰国後の初戦でこの技で勝利している。
スピアー
レスリングのバックボーンを活かしたタックル。
木槌攻撃
リングアナウンサーがゴングを叩くために使用する木槌で相手の背中や頭部を殴打する攻撃。背中とタイツの間に隠し持つ姿がよく見られる。
チョーク攻撃
矢野の場合、腕につけているテーピングをほどいて首を絞めつける。
急所攻撃
主にバックを取られた際に使用。
頭を掴んでの引き落とし
ロープに走ろうとする相手の髪の毛を後ろからワシ掴みにしてマットに叩き付ける屈辱技。
以下の技は酒飲みキャラとしてヒールになり始めた時期に使用していた技である。何れも反則を取られ、2004年4月から暫くの間、矢野は連続反則負けの記録を作っている。
塩攻撃
手に隠し持った白い粉(塩?)を相手の顔面に投げつけ、相手の視界を奪う。
酒噴射
酒を口に含み、相手の顔面に噴射。塩攻撃と同様に相手の視界を奪う。
番傘攻撃
入場時に持ってきた番傘で相手を思いっきり叩く。番傘は渋谷の古民具屋で調達をしていた(「成瀬昌由の自由人ブログ」より)。
下駄チョップ
下駄の足をついている側で相手の背中を殴打する。
獲得タイトル [編集]

新日本プロレス
IWGPタッグ王座(第51代)
G1 TAG LEAGUE 準優勝(2008年)
パートナーはいずれも真壁刀義。
アパッチプロレス軍
WEWヘビー級王座(第4代)
EPW
EPWタッグ王座(初代)
パートナーはケンドー・カシン。
プロレス大賞
2007年度プロレス大賞 最優秀タッグ賞
【2010/12/28 19:25 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
三上恭佑
三上 恭佑(みかみ きょうすけ、男性、1983年12月29日 - )は、日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。新潟県長岡市出身。血液型O型。
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1 来歴
2 得意技
3 入場テーマ曲
4 関連項目
5 外部リンク
来歴 [編集]

父親の影響で物心ついたときからのプロレスファンで、レスリング、柔道に打ち込む。新潟県立巻農業高等学校へ進学後はレスリングで国体に出場し、2000年にはフリースタイル97k級ベスト4の戦績を残す。卒業後、スポーツ推薦で専修大学へ入学。馳浩が監督を務めるレスリング部に入部し、2003年に行われたJOC杯ジュニアオリンピックのフリースタイル96kg級ベスト4、翌年2004年の全日本学生レスリング選手権ではフリースタイル、グレコローマン84kg級では共にベスト8という好戦績を残し、技術を高めた。
大学を中退した後に、新日本プロレスへの入門を志すも身長が足りない事で不合格。その後、4年間の浪人生活を経て2009年5月に身長制限が撤廃された入門テストに合格。練習生として長い練習期間を積んだ後、負傷した金本浩二の欠場を埋め合わせるべく2010年3月7日の田口隆祐戦にて急遽デビューが決まった。
また、DDTプロレスのMIKAMI選手とは、名字が同じだけでなく本名の下の名前の漢字が1文字違いで誕生日も1日違いという偶然が重なっている。
得意技 [編集]

タックル
入場テーマ曲 [編集]

All I Want / The Offspring
【2010/12/28 19:24 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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