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【2025/05/01 14:05 】 |
真壁刀義
真壁 刀義(まかべ とうぎ、1972年9月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は真壁 伸也(まかべ しんや)。神奈川県相模原市出身。新日本プロレス所属。血液型B型。神奈川県立城山高等学校→帝京大学出身。
目次 [非表示]
1 経歴
2 タイトル歴
2.1 新日本プロレス
2.2 ZERO1(旧:ZERO1-MAX)
2.3 アパッチプロレス軍
2.4 プロレス大賞
2.5 英連邦
3 単発興行との相性
4 得意技
4.1 フィニッシュ・ホールド
4.2 打撃技
4.3 投げ技
4.4 関節技
4.5 その他
5 入場曲
6 その他
7 名言・迷言集
8 CM
9 外部リンク
経歴 [編集]

帝京大学時代、『プリン真壁』のリングネームで学生プロレスで活躍(サークルの後輩にDDTのHARASHIMA、AV男優のミートボール吉野がいる)。卒業後の1996年4月に新日本プロレス入団。同期には藤田和之がいる。
1997年2月15日、神奈川県いすゞ自動車大和体育館での大谷晋二郎戦で、本名の真壁伸也でデビュー。しかし、藤田と比べ身体能力・技術に著しく劣る上に、一言多い性格が災いし、藤田や鈴木健想ら同期・後輩が続々とブレイクする中、真壁だけは何年もの間、長州力の雑用係をつとめながら前座のリングに立ちつづける不本意な日々を強いられた。
その後、長年の苦労が認められ、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアやタッグタイトル戦のパートナーとして次々と抜擢されるも結果を残せず。
2000年に開催されたヤングライオン杯ではかろうじて準優勝を果たすものの、2001年に無期限海外遠征に出発。
海外遠征から帰国後に藤田ミノルと組みヒールへ転身。しかし今度は棚橋弘至や柴田勝頼ら後輩が台頭するようになったため真壁は永田裕志や中西学ら第3世代組と「新闘魂三銃士(棚橋・柴田・中邑真輔)」の世代の狭間に埋もれてしまった。
そんな折、高山善廣とタッグを結成し、当時小橋建太と本田多聞が保持していたNOAHのGHCタッグに挑戦。敗れるも、小橋の本気を引き出し評価を上げた。その後は腰痛に苦しみ、なかなか結果を残せず。2004年10月に成瀬昌由と共に下剋上宣言を行い、トップ層との争いを目論むも頓挫。その後、成瀬がケガで欠場する間にBNJ入りを果たし暴れまわる。
2004年8月7日のG1クライマックスよりリングネームを真壁刀義に変更。翌年のG1クライマックス2日目の中邑真輔戦でアキレス腱断裂の重傷を負った。復帰後は、ジャイアント・バーナードのタッグパートナーを務めた。WRESTLE LANDで「UNCHAINED GORILLA」という二つ名を付与されてから、鎖を首にかけて入場するようになった。タッグパートナーは越中詩郎に替わった。
2006年9月24日のWEWヘビー級王座決定戦で金村キンタローを破り同王者を奪取、自身国内でのシングル初タイトルとなり、2007年6月まで王座を保持。これを皮切りに新日本、アパッチで怒涛のブレイクを果たした。その頃から「これが現実だ!」が決め台詞になる。「インディーの至宝」とも呼べるWEWヘビー級王座を乗っ取ったことで、「悪の王者」としてインディーファンから多くのブーイングを受けた。
同年10月2日、所属する新日本内で天山広吉・矢野通・石井智宏らと「G・B・H」結成し活躍。
2007年3月に行われたニュージャパン・カップでは決勝で永田裕志に敗れ準優勝に終わる。同年7月には永田が持つIWGPヘビー級タイトル初挑戦、G1クライマックスでは初の決勝トーナメント進出を果たした。この年には矢野と共に2007年東京スポーツプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞。
2008年1月4日、矢野通と組み、TNAのTEAM3Dブラザー・レイ・ブラザー・ディボーンに挑む。何度か3Dを追い込む場面もあったが、惜しくも敗北。2月17日、矢野通と組み、IWGPタッグ王座のジャイアント・バーナード・トラヴィス・トムコに挑戦。激戦の末、真壁がキングコング・ニードロップでトムコを破り第51代IWGPタッグ王座になった。3月9日、中邑真輔・ジャイアント・バーナードを相手に初防衛戦。しかし、バーナードがレフェリーを暴行したため無効試合となった。4月27日、天山・飯塚を相手に事実上の初防衛戦。最終的には飯塚とグルになり初防衛に成功を果たし試合後、飯塚のG・B・H入りを表明。
8月3日、ZERO1-MAX火祭りにてAブロックを1位通過。決勝に進むが田中将斗に敗北、準優勝。8月17日、G1クライマックスにて初の決勝進出するも後藤洋央紀に敗れ準優勝。9月21日、神戸ワールド記念ホールにて、武藤敬司の持つIWGPヘビー級のベルトに挑戦した。セコンドを乱入させ試合を優位に進めていったが最後は武藤のムーンサルトプレスに破れた。G1 TAG LEAGUEも決勝で天コジに敗れて準優勝。パートナーは矢野通であった。
2009年1月4日、ハードコアマッチでTEAM3Dの挑戦を受けるも防衛に失敗。本来は天コジ含めて3wayマッチが行われる予定だったが天山の網膜剥離によりハードコアマッチに変更されたものであった。同年2月15日に再戦するも前回と同じく3Dを受け敗北。4月5日から中邑真輔のイス攻撃により負傷欠場していたが、4月22日に復帰。8月16日、G1クライマックスにて二度目の決勝進出。勝ち点7で棚橋と並び、棚橋と引き分けだったため史上初のコイントスで1位2位が決められ、1位で決勝進出となった。決勝で中邑真輔に勝利し初優勝を決めた。
12月にプロレス大賞敢闘賞を受賞。
2010年2月28日、プロレスリング・ノアの「The Second Navig.’10」最終戦で杉浦貴の持つGHCヘビー級王座に挑戦したが、敗れた。3月に行われたNEW JAPAN CUPでは決勝で後藤に敗れ準優勝に終わる。4月4日のメインイベント終了後、IWGPヘビー級王座次期挑戦者として名乗りを上げ5月3日、「レスリングどんたく」で行われたIWGPヘビー級選手権で王者中邑真輔と対戦。最後はキングコングニードロップで中邑を下し、キャリア13年にしてついに同王座初載冠を果たした。プロレスリングNOAHの潮崎豪、中邑とのリマッチ、ZERO1の田中将斗と三度の防衛の成功するも、10月11日フリーの小島聡に敗れ王座陥落。
タイトル歴 [編集]

新日本プロレス [編集]
IWGPヘビー級王座(第54代)
IWGPタッグ王座:2回(暫定王者、第51代)
暫定パートナーは越中詩郎、第51代パートナーは矢野通。
G1 CLIMAX 準優勝:1回 優勝:1回
準優勝は2008年、優勝は2009年。
NEW JAPAN CUP 準優勝:2回(2007年、2010年)
G1 TAG LEAGUE 準優勝(2008年)
パートナーは矢野通。
ヤングライオン杯 準優勝(2000年)
ZERO1(旧:ZERO1-MAX) [編集]
火祭り 準優勝(2008年)
アパッチプロレス軍 [編集]
WEWヘビー級王座(第2代)
プロレス大賞 [編集]
2007年度最優秀タッグ賞
2009年度敢闘賞
英連邦 [編集]
英連邦インターコンチネンタル王座
単発興行との相性 [編集]

他団体を含む、若手レスラーのみの興行「ライオンズロード」にてプロデューサーを務めるも、試合を提供した団体に「そこに戦いはあるのか」などと批判し、物議を醸す。DDT社長の高木三四郎と参戦していた同団体の選手HERO!(HARASHIMA)はこれに対して反論、かつて真壁の大学の後輩だったHERO!は対戦要求し受諾されるも実現には至ってなかった。その後、若手選手の成長もあり、同興行は打ち切りとなった。
「LOCK UP」第1回興行でメインイベント後に乱入し、当日のメインイベントに出場していた金村キンタローに「真壁は呼んでないよ」と言われるも、空気を読まないギミックを貫いた。この金村の「真壁は呼んでいない」発言が真壁を覚醒させ、現在の“暴走コング”と呼ばれる地位を確立させたとも言われる。第2回興行ではリングから柔らかいコーナークッションを外し、蛍光灯などの凶器で血だるまになるほど殴られている関本大介をクッションで殴打するコミカルな一面を見せた。第3回興行でもコーナークッションを外すが、外すだけでその後は普通に試合を行った。しかし第5回興行ではマンモス佐々木との金網デスマッチでメインイベンターを務め、アパッチプロレス興行では前述の金村率いるアパッチ軍の強大な敵として存在を確立するなど、「単発興行との相性が悪い」というイメージを払拭した。
前述のDDT・HARASHIMAとは、2010年3月14日DDT後楽園大会でシングルマッチで対戦し真壁の勝利。試合後、メインイベンターを務めた前年の新日本・DDTそれぞれの両国国技館大会を例に挙げ、「同じ穴のムジナ」と話した。その後、関本大介とのKO-D無差別級選手権試合を控えたHARASHIMAを新日本道場に招いて合同練習を行い、自らスパーリングパートナーを務めるなど、仮想・関本としてHARASHIMAのKO-D無差別級王座奪取に貢献している。
得意技 [編集]

若手時代から定評のあるしなやかなブリッジに加えヒールターンしてからはラフ&パワーを前面に押し出したファイトスタイルとなった。メジャー団体所属選手としては珍しいデスマッチファイターである。
フィニッシュ・ホールド [編集]
(ダイビング)キングコング・ニードロップ
トップロープからのニー・ドロップ。真壁の絶対的なフィニッシュ・ホールド。未だにこの技は返されたことがない。
矢野通と合体で行う場合は「合体キングコング・ニードロップ」になる。形は矢野が相手の背中を片ヒザに乗せ、相手の首を手で押さえ首が浮いた状態に真壁がキングコング・ニードロップを突き刺す危険な技。キン肉マンに登場する悪魔将軍の「地獄の断頭台」をモチーフに開発された。相手が立ち上がった状態から同技を繰り出すパターンも見られる。
打撃技 [編集]
ラリアット
ロープの反動を利用したラリアットやショートレンジ式ラリアットを得意とする。相手の起き上がりざまに3連発で見舞ったり、鎖を腕に巻き付けたチェーンラリアットも敢行する。
ナックルパート(グーパンチ)
握り拳で相手の顔面を殴りつける技。真壁刀義と改名してから使用するようになった。テーピングでかためた右こぶしでなぐるのが基本的である。本来は反則技であるために、反則カウントをとられていたが、ベビーターンしてからは、この技を使うたびに観客から歓声が上がるためか、レフェリーがカウントを取ることが少なくなった。
キングコングハンマー
両手の指を組み、両腕を相手の顔面に叩きつける、ダブルアックスハンドル。
投げ技 [編集]
ジャーマン・スープレックス
若手時代からの得意技でブリッジの美しさには定評がある。時にロコモーション式も決行する。
スパイダー・ジャーマン・スープレックス
ここからキングコング・ニードロップに繋ぐのが真壁の必勝パターンであるが、何もせずに降りることもある。
ノーザンライト・スープレックス
こちらも若手時代からの得意技。現在でも使用する。
ドラゴン・スープレックス
真壁の奥の手ともいえる必殺技。ブリッジがきれいなために相手によっては危険角度で落とすことがある。
パワースラム
パワーボム
ジャンピング両膝着地式。担ぎ上げた状態で数秒保ち、タメを作って落とす滞空式パワーボムも得意とする。
デスバレーボム
サードロープに机を掛け、そこへ背中から落とす危険な技も敢行する。
デスフォール
ファイヤーマンズキャリーの体勢から前転して背中をマットに叩きつける変形のデスバレーボム。2008年のNJC1回戦で飯塚高史に初公開したがそれ以来一度も使っていない。リバース・デスバレーボムあるいはリバース・ファイヤーマンズキャリー・ホイップといえる技。
フィッシャーマンバスター
パイルドライバー
パイプ椅子へのパイルドライバーなどを敢行する。落とすときに軽くジャンプしてから落とす。
関節技 [編集]
ドラゴン・クラブ
変形のテキサスクローバーホールド
監獄固め
変形の足4の字固め。マサ斉藤の代名詞的技として知られる。2008年のG1 CLIMAXで初披露し、それ以降、この技をフィニッシュホールドとして使うこともある。
その他 [編集]
凶器攻撃
ラリアットの欄にあるように鎖を使うことが多い。場外では椅子や鋏などを持ち出すことも。当然ながら反則である故、リング上では、レフェリーのダウンしている時やセコンド介入など、レフェリングのブラインドを突く形で行われる。しかしながら、レフェリー健在でもチェックが殆ど行われないようなことも稀にある。対戦相手が頭部に傷を負い、流血試合になることが多い。
入場曲 [編集]

Immigrant Song / 布袋寅泰(現在)※ブルーザー・ブロディが使用していた入場曲「移民の歌」を布袋がカバーした物。
BLACK BETTY / Ram Jam
その他 [編集]

相手を挑発する際に「3分以内で倒す」と宣言することがあるが、宣言対象に3分以内で勝利したことはない。
同じ新日本所属の天山広吉同様に「かみつく」「叩き潰す」「コラ(オラ)」などの伝統的な罵り方を好んで使う。
新日本プロレス S.X.W のテレビCMで「俺達は飢えたジャッカルなんだよ!」と発言した。
甘党で、学生プロレス時代のリングネームもそれに由来する。大好物はモンブランである。
名言・迷言集 [編集]

「これが現実だ!」
自分が勝利した際に相手レスラー、ファン、マスコミを挑発するために主に使用されるが、自分が負けた際にもそれを認める発言として時折使用される。
「ウ○コチ○チ○」
相手を罵るために使用する。加藤茶のギャグと同じフレーズであるが、これは放送禁止用語なのでワールドプロレスリング内で流れたことはない。
「なんでだかわかるか?」
試合後のコメントの最後に使用する。問われたアナウンサーや記者が「スーパースターだからです」と答えるとニヤリと笑い「わかってるじゃねぇか」と締めくくる。
「サンキューな」
ファンを"ヤツ"呼ばわりし、"言いたくない"と言いつつも放つ一言。一種のツンデレとも言える。
「ただ、それだけだよ」「Fuck on!」
言葉の締めくくりに使う。
「人に夢与える奴がよ、てめーで夢見なかったら夢なんて与えられねーんだよ。夢の無い時代だろ。だから夢持つんだよ」
「時代はよぉ、俺にみてぇなバカな奴を必要としてんだよ」
「俺はヒールでもねぇ、ベビーでもねぇ。そんなモン超越したモンなんだよ」
G1初優勝後にコメントブースへ向かった真壁の前にZERO1の崔領二が乱入。その事に対しての挑発コメント。
「涙なんてねえんだよ、かれちまったよ、そんなもん」
「火祭り? 俺にとったら火遊びだよ」
CM [編集]

パチンコビッグタイガー (2010年)
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【2010/12/28 19:24 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
本間朋晃
本間 朋晃(ほんま ともあき、男性、1976年11月18日 - )は、新日本プロレス所属のプロレスラー。山形県東根市出身。
目次 [非表示]
1 経歴
2 タイトル歴
3 人物
4 元祖・蛍光灯デスマッチ
5 得意技
6 入場曲
7 外部リンク
経歴 [編集]

アニマル浜口ジム出身。プロレスデビューは1997年5月18日、大日本プロレスの益子町興行における高橋秀幸戦である。
大日本プロレスで過激なデスマッチを繰り広げてエースとなり、シャドウWX・山川竜司と共に「デスマッチ新世代」を形成。デスマッチヘビー級王者にもなったが、2000年に退団。登坂栄児統括部長はこの退団を「ランナウェイした」と形容した。以降フリーランスとして活動した後、2002年3月23日に全日本プロレスに入団。一度は団体のエースになった身でありながら一から出直す意味で武藤敬司の付き人を務めた。宮本和志とターメリックを結成、しかし勝ち星をあまり挙げられず、ついにはタッグ6番勝負に全敗ターメリックを解散。宮本は海外修行に行き本間は全日本に残った。ターメリック時代から、それに因み黄色いタイツやシューズを身につけているが、ターメリック解散直後からはタイツの臀部や膝サポーターに情報誌「ぴあ」と文字の入ったコスチュームで正に同雑誌の広告塔となっている。
2004年には諏訪間幸平と組み世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。その後中嶋勝彦と組みアジアタッグトーナメントに出場、決勝で敗れた。
大日本時代には、エースとしてアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し勝利した。
2006年、全日本プロレスを退団してフリー選手となり、アパッチプロレス軍主催興行で、同じく大日本プロレス出身の葛西純とタッグを結成し、大日本退団以来のデスマッチに挑戦。佐々木貴&BADBOY非道の持つWEWタッグ王座を奪取した。
後に新日本プロレスのヒールユニットであるG・B・Hに合流し活躍。2009年には新日本プロレスに正式入団を果たした。
2009年4月5日、矢野通が真壁刀義を裏切り、他メンバーも寝返りG・B・Hを離脱するが、ただ1人G・B・H残留を選択。真壁と共に、中邑真輔、矢野ら旧G・B・Hメンバーが結成した新ユニットCHAOSと抗争を繰り広げる。
タイトル歴 [編集]

BJW認定デスマッチヘビー級王座(2回/9代、11代)
BJW認定タッグ王座(2回、7代、10代)
WEWタッグ王座
人物 [編集]

悪役レスラーらしい強面で筋骨隆々な肉体を誇りヒールとして悪の限りを尽くしているが、プライベートではとても人が良くファンから「マホン」の愛称で親しまれている。
G・B・Hに加入後は反則を繰り返し、仲間の試合に乱入したりするため会場では「本間帰れー」という野次が飛ぶのが当たり前となっている。しかし本人はこの野次に満足している。
声帯が潰れており、声がしゃがれ声で聞き取りにくく、あるプロレス雑誌で天龍源一郎、佐藤耕平らとともに“滑舌の悪いトリオ”と言われていた。
全日本プロレス時代の先輩である小島聡、カズ・ハヤシから非常に可愛がられている。
ダグという名前のダックスフントを飼っており、溺愛している。
元タッグパートナーである宮本が海外修行から帰ってきた時、小島に冗談で「マホンと違って宮本はオーラがあるな。」と言われ少し凹んだことがある。
年々頭髪が薄くなってきているらしく、祖父や父が頭髪が薄いこともあり心配している。
受けのよさには定評があり、全日本時代には渕正信が絶賛していた。
アナウンサーからは『エプロン際の魔術師』と呼ばれている。
大日本時代、葛西純に市来貴代子と付き合っていることをばらされた。
元祖・蛍光灯デスマッチ [編集]

現在、大日本プロレス名物ともなっている蛍光灯デスマッチ。その始まりは、本間が思い付きで始めたとされる。
得意技 [編集]

コケシ
コーナー上で直立しながら頭を斜に構え、前のめりに落下していく本間ならではのダイビング・ヘッドバット。この際、不敵な笑みを浮かべながら落下していくのが特徴。
シャリマティー
コーナーに登り、相手に飛びついてのローリング・ネックブリーカー。バフ・ブロックバスターと同型。
エルボー各種
クレイジーエルボー
本間が扱うランニングエルボーの名称。
ジャンピング・エルボー
コーナーへもたれ掛かっている相手に対して勢いよく突き刺す。この技から下記のフェイスクラッシャーへの布石として使用されている。
追走式エルボー
相手がロープへ走るのを見計らいその後ろを追走しながら放つ。
フェイスクラッシャー
前途のジャンピングエルボーの繋ぎ技として使用。
ミサイルキック
滞空時間が長く、評価が高い。
ホンマクラッチ
ミスター雁之助が得意とする雁之助クラッチと同型。過去にターメリッククラッチという名称としても使用された。
ダイビング・ボディ・プレス
入場曲 [編集]

trick・ster
HEADING FOR TOMORROW / ガンマ・レイ
【2010/12/28 19:23 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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