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ツバサ(1973年6月21日 - )は日本のプロレスラー。岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)出身。身長168cm、体重78kg。大阪プロレス所属。
目次 [非表示] 1 来歴 2 得意技 3 タイトル履歴 4 その他 5 関連項目 6 外部リンク 来歴 [編集] プロレスラーを志してメキシコに渡り、フライ・トルメンタ孤児院(レスラーのファイトマネーによって運営される孤児院)に所属する。1993年12月3日、メキシコ・イダルゴ州パチューカにてデビュー。約6年の間、EMLLを中心に活動した。1999年、CMLLジャパンに参戦し、日本に逆上陸。同年9月より大阪プロレス所属となる。 2001年 正規軍を脱退し、ブラックバファローとタッグユニット”インフィニティ”を結成。7月21日、王座決定戦にてスペル・デルフィン&村濱武洋組に勝利し、大阪プロレスタッグ選手権第2代王者となる 2002年 8月25日、”ビッグボス”MA-G-MA&大王QUALLT組に勝利し、大阪プロレスタッグ選手権第6代王者となる 2003年 インフィニティ解散。以後、正規軍としてルード軍”岸和田愚連隊”と戦う。4月29日、ビリーケン・キッドと組み「大阪タックフェスティバル2003」に出場し、優勝。 2004年 4月2日、当時、カズ・ハヤシが所持していた全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座に挑戦するが敗退。 6月12日、ユタカと組み「大阪タックフェスティバル2004」に出場し、優勝。同年、右膝の故障により長期欠場に入る。 2005年 2月13日、「大阪ハリケーン2005」で半年間の休養から復帰する。9月17日、ビリーケン・キッドと組み、秀吉&正宗組を破り、大阪プロレスタッグ選手権第12代王者となる。しかし、初防衛後、返上。同年11月より、右膝の再手術のため、再び長期欠場に入る。 2006年 10月1日、11ヶ月ぶりの復帰を果たす。 2007年 2月13日大阪ハリケーン2007、フラッシュムーンと組んで大阪プロレスタッグ選手権のベルトに挑戦するも敗退。 大阪タッグフェスティバル2007にアジアン・クーガーとタッグを組み参戦。準決勝まで勝ち抜いた。 2008年 1月13日、大阪プロレスタッグ選手権次期挑戦者決定戦にアジアン・クーガーと、組んで秀吉、政宗組を破って挑戦権を獲得。 2月11日大阪ハリケーン2008でゼロ、GAINAの持つ大阪プロレスタッグ選手権に挑戦するも敗退する。 得意技 [編集] メキシコのルチャリブレの技を基礎とし、キレのある空中殺法や素早いジャベ、力強い投げ技など、さまざまな技を使いこなす。特にドラゴン・スリーパーは難しく、数少ない使い手である ドラゴン・スリーパー メキシカン・クラッチ ウラカン・ラナ・インベルティダ メキシカンストレッチ ファルコン・アロー フランケンシュタイナー トルナド・デ・アカプルコ ウルトラ・ウラカン・ラナ ゴッズ・ラスト・ギフト スウィート・チン・ミュージック フェニックス・スプラッシュ ブラッディクロス 高角度前方回転落とし固め タイトル履歴 [編集] メキシコ州ウェルター CMLL・JAPANタッグ 大阪プロレスタッグ選手権 その他 [編集] 欠場中は引退後のために、理学療法士の専門学校に通う。そのため、平日、土曜日、東京の試合には出られなくなり、日曜、祝日のみの、限定復帰となった。だが実質、フリー契約で、4月にプロレスリング華☆激にも参戦した。その後、準レギュラー扱いで参戦。 リング場のマイクパフォーマンスはほとんどしない。大阪プロレスの中ではくいしんぼう仮面の次に喋らないのだが、トークが上手く、去年は大阪プロレスでは一番多い4度ものトークショーを行っている。 大の野球好きでブログの内容もプロレスより野球の方が多い。特に中日ドラゴンズのファンで、シーズン中は、実家に帰るときにナゴヤドームで野球観戦をする。 大阪タッグフェス2007におけるアジアン・クーガーとのタッグは、クーガーの荒々しいハードコアとツバサの華麗なルチャリブレが素晴らしいコンビネーションで人気を呼んだ。現在大阪プロレスで一番の人気タッグチームになっている。 PR |
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