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ドン・ジャーディン(Don Jardine、1940年3月24日 - 2006年12月16日)は、カナダ・ニューブランズウィック州出身のプロレスラー。現役選手時代は主に覆面レスラーとして、ザ・スポイラー(The Spoiler)またはスーパー・デストロイヤー(Super Destroyer)のリングネームで活躍した。
巨体ながらトップロープの上を歩くバランス感覚の持ち主であり、WWEのジ・アンダーテイカーが見せる「オールド・スクール」のオリジネーターとしても知られる。生年は1935年ともいわれる[1]。 目次 [非表示] 1 来歴 2 得意技 3 獲得タイトル 4 脚注 5 外部リンク 来歴 [編集] サーカスなどに出場するカーニバル・レスラーとして1950年代半ばにデビュー[1]。1960年代は素顔で活動し、ルー・テーズやジン・キニスキーのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。日本には1963年7月に本名のドン・ジャーディン名義で力道山時代の日本プロレスに初来日。1965年9月にはザ・ブッチャー(The Bucher)のリングネームで再来日し、ジャイアント馬場と引き分けている(1969年の来日では馬場のインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦)。 1967年、フリッツ・フォン・エリックのアドバイスでテキサス州ダラス地区でマスクマンのザ・スポイラーに変身[2]。以降、1980年代後半までダラスのWCCW(World Class Championship Wrestling)を本拠地とした(1984年にWCCWでデビューしたジ・アンダーテイカーことマーク・キャラウェイはジャーディンのコーチを受けており、ロープ歩き「オールド・スクール」を直々に伝授された。なお、キャラウェイも若手時代はマスクマンのザ・パニッシャーとしてWCCWのリングに上がっていた)。 1972年7月29日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでペドロ・モラレスのWWWF世界ヘビー級王座にも挑戦しているが、当時のMSGは覆面レスラーの出場が禁止されており、素顔で試合を行った。なお、同年12月18日にミル・マスカラスが覆面レスラーとして史上初のMSG登場を果たした際、ジャーディンはその対戦相手を務めている(ジャーディン本人はこの時も素顔だった)[3]。 1973年よりスーパー・デストロイヤーのリングネームでノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に参戦。以降もスーパー・デストロイヤーとザ・スポイラーのリングネームを使い分け、トップクラスのヒールとして南部のNWA傘下団体やAWAなど全米のメジャーテリトリーを転戦。ダスティ・ローデス、ワフー・マクダニエル、アンドレ・ザ・ジャイアントらベビーフェイスのトップスターと各地で対戦し、ジャック・ブリスコやハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した。 1976年8月、スーパー・デストロイヤー名義で全日本プロレスに来日。ザ・デストロイヤーの「覆面十番勝負」最終戦の相手を務めた。この試合は日本で初めて行われた覆面剥ぎマッチでもあり、破れたジャーディンは覆面を剥がされ素顔を晒したが、翌年の第5回チャンピオン・カーニバル(1977年大会)には再び覆面を被って参加している。 同時期、ジャーディンと同サイズの大型マスクマンとしてマスクド・スーパースターが台頭していた。スーパースターは後年のインタビューで自分が覆面レスラーになった経緯を、1976年にジャーディン(スーパー・デストロイヤー)がミッドアトランティック地区を離脱した際、彼に代わるマスクマンのヒールが必要となったため、同地区のブッカーのジョージ・スコットに要請されたことがきっかけだったとコメントしている[4]。 1980年2月にはスーパー・デストロイヤーとして新日本プロレスに初参戦。アイアン・シークとのコンビで坂口征二&長州力の北米タッグ王座に挑戦し、アントニオ猪木ともシングルマッチで対戦している。これが最後の来日となった。 以降はスコット・アーウィンが南部地区でスーパー・デストロイヤーを名乗るようになったこともあり、リングネームをザ・スポイラーに定着させた。アメリカでは一貫してヒールのポジションだったが、1982年頃に本拠地WCCWで一時的にベビーフェイスに転向している。 1984年上期はジョージアのGCWを主戦場に、ポール・エラリング率いる悪の軍団「リージョン・オブ・ドゥーム」に加入、大ブレイク前のロード・ウォリアーズやジェイク・ロバーツ、テッド・デビアスらと共闘した[5]。同年下期からはビンス・マクマホン・ジュニア政権下で新体制となったWWFに登場[6]。1972年のWWWF参戦時は素顔だったが、この時は覆面レスラーのザ・スポイラーとしてMSG出場を果たしている。 1990年代前半にはフロリダでプロモート業も行っていたが1994年にプロレス界から引退。引退後はカナダのアルバータ州で洗車ビジネスの管理業務を行う一方[2]、ボランティア活動にも従事し、幼児に読み書きを教えていたという[7]。また、粘土彫刻家としても活動していた[7]。2006年12月16日、白血病のため死去[7]。66歳没。 得意技 [編集] ブレーン・クロー ダイビング・ニー・ドロップ ダイビング・エルボー・バット 右掌に付けた黒い革手袋によるクロー攻撃の他、トップロープからのエルボーやニー攻撃を得意としていた。ロープワークの巧みな選手として知られ、"元祖"オールド・スクールはジャーディンだからこそのムーブともいえる[1]。また、覆面レスラーとしてのキャラクターを活かすため、感情を表に現さない徹底してクールな試合ぶりも特徴的であり、こうしたスタイルも弟子のマーク・キャラウェイに受け継がれている。 獲得タイトル [編集] セントラル・ステーツ(カンザス、ミズーリ) NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回 CWF(フロリダ) NWA南部ヘビー級王座:1回 NWAフロリダ・ヘビー級王座:3回 NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ザ・スポイラー2号) GCW(ジョージア) NWAジョージア・ヘビー級王座:3回 NWAナショナル・ヘビー級王座:2回 WCCW(ダラス) NWAアメリカン・ヘビー級王座:4回 NWAアメリカン・タッグ王座:6回(w / ゲーリー・ハート×3、スマッシャー・スローン×1、マーク・ルーイン×2) NWAテキサス・ヘビー級王座:2回 NWAテキサス・タッグ王座:1回(w / マーク・ルーイン) NWAブラスナックル王座:1回 WCCW TV王座:1回 NWAトライステート(オクラホマ) NWA北米ヘビー級王座:2回 NWA USタッグ王座:1回(w / ダスティ・ローデス) NWAオールスター・レスリング(バンクーバー) NWAカナディアン・タッグ王座:1回(w / ダッチ・サベージ) NWA世界タッグ王座:2回(w / ダッチ・サベージ) WCW(オーストラリア) IWA世界ヘビー級王座:1回 IWA世界タッグ王座:1回(w / マリオ・ミラノ×1、ワルドー・フォン・エリック×2) etc. PR |
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