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シェール(本人の発音(英語)ではシェーアで、「シェー」にアクセントがある)(Cher/本名 Cherilyn Sarkasian La Pier シェリリン・サーカシアン・ラ・ピエー 1946年5月20日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州エル・セントロ出身の歌手・女優である。アカデミー賞とグラミー賞という映画界と音楽界の頂点の賞を手中に収めた。エキゾチックな顔立ちであるが、ハリウッド女優であった母親がチェロキー・インディアンの血を引いているという。
目次 [非表示] 1 来歴 2 アルバム 3 主な出演作品 4 外部リンク 来歴 [編集] 歌手のソニー・ボノに見出され18歳で彼と結婚。"ソニー&シェール"の名で活動を始め、「アイ・ガット・ユー・ベイブ」などがヒットしたが、1975年に離婚。 デュオと並行して、1966年頃よりソロとしても活躍し始める。チェロキーの血筋を全面に押し出したイメージ戦略で「悲しきジプシー」「ハーフ・ブリード」「ダーク・レディ」などが全米No.1に輝き、日本でも頻繁にラジオで流された。 1976年にはグレッグ・オールマンと結婚したが、1979年に離婚。 その後はディスコサウンドも取り入れた「テイク・ミー・ホーム」が1979年に大ヒット。 1987年にはゲフィン・レーベルに移籍し、マイケル・ボルトンやデスモンド・チャイルドらがソングライティングに加わったロック色の濃いアルバム「CHER」をリリース。ファーストシングルの"I Found Someone”が10位、セカンドシングルの"We All Sleep Alone”が14位と2曲のシングルヒットを飛ばした。アルバムもプラチナディスクを獲得している。 その後、ピーター・セテラとのデュエット"After All(Love Theme From Chances Are)"が6位とヒットを放っている中で、アルバム「HEART OF STONE」リリース。レコーディングには、当時彼女と付き合っていたボン・ジョヴィのリッチー・サンボラも加わっている。このアルバムからのファーストシングル"If I Could Turn Back The Time"が3位とスマッシュヒットを放つと、続く“Just Like Jesse James”が8位、サードシングルの“Heart Of Stone"も8位とヒットシングルを連発した。特に"If I Could~"のプロモーションビデオはアメリカ海軍の軍艦上でロケが行なわれ、多数の水兵(エキストラ)を前にしてのT-バックスーツでの出で立ちが耳目を惹いた。 その後、1991年に「LOVE HURTS」。ワーナーへの移籍を経て、1995年に「IT'S A MAN'S WORLD」をリリースするものの、ビッグヒットには到らなかった。 しかし、1998年にヨーロッパで先行してリリースしたシングル"Believe"が大ヒット。その後、各国で1位を記録した。このヒットを受け"Believe"は米国でも1位を獲得し、世界を席捲した。 この曲により、彼女はグラミー賞も受賞している。しかも、この"Believe"は世界中のヒット曲をランキングしたワールドチャートにて現在歴代1位という輝かしい大記録を保持している。 1980年代に入ってからは女優としても活動を始め、1984年の『マスク』でカンヌ国際映画祭 女優賞を、1987年の『月の輝く夜に』でアカデミー主演女優賞を受賞した。また、この時のシースルーのドレスは今でも語り継がれている程人々にインパクトを与えた。これまでもそのエロチックな姿態や衣装で何かと注目を集めたシェールだが、プライベートな嗜好でも常に話題性に富み、臀部にはバタフライの刺青を入れるなど全身にあらゆるタトゥーを入れていた事は有名であった。(現在はその殆どを除去している模様) 1960年代からの長い芸歴ではあるがあくまでも音楽活動がメインであり、映画ファンにも知られるようになったのは女優活動も活発に行うようになった1980年代後半からである。そのため、これより前の女優名鑑などでは「シェーア」という記述がある。これはシェールのスペル「Cher」の呼び名を執筆者が知らずにそのまま呼んだものと思われる。実際の発音は必ずしもローマ字表記とは一致しないがこの項目では日本での一般的な表記に倣った。 1999年には、ニューヨークのビーコン・シアターで行われたディーヴァズ・ライヴに、ティナ・ターナーやエルトン・ジョン、ホイットニー・ヒューストンらと共に出演、"If I Could Turn Back Time"・"Believe"の2曲と、ティナ・ターナー・エルトン・ジョンと共に"Proud Mary"の合わせて3曲を披露した。同様に2002年にラスベガスのMGMグランドで行われた「ディーヴァズ・ライヴ エルヴィス・プレスリー・トリビュート」にもセリーヌ・ディオンやメアリー・J. ブライジ、ディクシー・チックスらと共に出演し、"Believe"・"Song For The Lonely"・"Heartbreak Hotel"(ハートブレイク・ホテル、エルヴィス・プレスリーのヒット曲)の3曲と、シンディ・ローパーとのデュエットで"If I Could Turn Back Time"の合わせて4曲を披露した。2000年以降は、北米、ヨーロッパを中心に大規模なワールド・ツアーを開催した。「フェアウェル・ツアー」と題された最後のワールド・ツアーも数年に渡り行われ大成功を収めた。 PR |
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